Art-SITE vol.3 久保寛子個展「鉄骨のゴッテス」

 

Art-SITE vol.3 久保寛子個展
鉄骨のゴッデス

金沢市民芸術村アート工房 PIT5
2024年3月9日(土)〜2024年3月20日(水祝)12:00-18:00(*土日祝は20:00まで)

 

 

 

この度、金沢市民芸術村アート工房では、久保寛子個展「鉄骨のゴッデス」を開催いたします。

久保は、鉄と農業用シート、土嚢などの工業製品を素材として彫刻作品を制作しています。作品では先史芸術や宗教芸術などの造形性やその歴史的背景・物語が参照され、それは西洋と非西洋地域との間を相対化させながらその土着性に着想を得て制作されています。また近年では女性の身体や美術史における女性の表象にも注目し、文化人類学的に女性が創造と破壊という相互関係を象徴していたことと、先述した先史・宗教芸術の歴史とのつながりの中で彫刻的な実践を探求してもいます。

素材として主に扱われる鉄は強固な構造を支える素材であり、一方で農業用シートや土嚢は一時的に仮設される安価な素材と言えます。こうした素材群は現代における効率化、あるいは合理化された手仕事を表象する素材です。今回の展覧会では、柳宗悦が提唱した「民藝」の考え方に着目し、効率化された現代の合理性がもたらす利益だけには還元されない素材そのものが秘める造形美を現代の工業製品自体から見出します。そしてその造形美を民族的な偶像=ゴッデス(女神)へと受肉させるような作品群がアート工房の空間に展示されます。是非お越しください。

 

金沢市民芸術村アート工房ディレクター 宮崎竜成


アーティストステートメント

 

2024年の元日、能登半島が大地震に見舞われました。自然災害を目の当たりにするたび、私たちは築いてきたものや、自らの脆弱性を痛感します。高層ビルや地下鉄、人工衛星などの技術も、先史時代の土器や石像、洞窟壁画と同じく、厳しい自然に対抗し、適応し、祈りながら生きてきた人類の生の証です。
柳宗悦は民藝論を通じて、民衆が生み出す実用品にこそ美が宿ると説きました。すなわち「用の美」です。それに対抗するものは、「用」から離れて「美」のために作られた美術品や、「利」のために生み出された工業品であると言います。
宗教美術や民俗芸術も、人間の精神的な必要性、いわば「心の用」から生まれた民藝です。
私が作家としてこれらを手本とする理由は、現代の合理性では計り知れない、豊かな神話的思考の具現であり、今もなおヒトはこのような思考を必要としていると感じるからです。
神話や民藝を失いつつある現代。効率化された工業製品の中に、ゴッデス(女神)を見出すことは可能でしょうか。
私は身の回りにある素材から道具や偶像を生み出してきた古人に倣い、いま身近にあるもの、例えばブルーシートや軍手やワイヤーメッシュを使って作品を作ります。それらが新しい神話の断片となり、女神像の身体となることを信じて。
現在も苦しい状況の中にある被災者の方々が、一刻も早く暖かい日常に戻れることを心より願います。

 


アーティスト

 

 

久保寛子 Kubo Hiroko

1987年広島県生まれ。テキサスクリスチャン大学美術修士課程修了。

先史芸術や民族芸術、文化人類学の学説のリサーチをベースに、身の回りの素材を用いて、農耕と芸術の関係をテーマに作品を制作する。近年の主な展覧会に「GO FOR KOGEI 物質的想像力と物語の縁起マテリアル、データ、ファンタジー」(2023年 環水公園、富山県)、「浪漫台三線藝術季」(2023年 台湾)等がある。広島文化新人賞 (2022年)、六甲ミーツ・アート芸術散歩公募大賞 (2017年)受賞。KAMU kanazawa(石川)、おおさか創造千島財団(大阪)、株式会社アイザック(富山)などに作品が収蔵されている。

《やまいぬ》 2023

 

《ハイヌウェレの彫像》2020

 

《現代農耕文化の仮面》2019

 

《泥足》 2015


美の用/久保寛子の作品について

宮崎竜成
(金沢市民芸術村アート工房ディレクター 本展企画)

久保寛子の作品は農業用シートやセメント・鉄骨・軍手・コンクリートパネルなど、建築における構造を支えるものや、その作業において使用される道具を素材としている。古くから芸術ではエルゴンとパレルゴン (*1)という対比が持ち出されるが、建築においても構造をなす柱などは生産されるものそれ自体の存在やその表象を支える非本質的なものという位置づけがなされてきた。久保が扱う素材もこうした建築を成立させるための機能的な造形や色彩を持ったものであり、それは施工の段階で仮設されるものだったり、完成時には表に出ることがあまりなかったりするものたちである。しかし、久保はこうしたものを積極的に作品の表象に強く関わるものとして用いる。そこには、素材が持つ機能的な要素からそれ自体には還元されない美学的なものを取り出そうという態度がある。哲学者のジャック・デリダがエルゴンとパレルゴンの関係を転回し、これらの関係自体が存在を形作るのだと定義し直したように、久保の作品は、常に素材の持つ機能性と作品がもたらす表象とを相互的なものと捉え、その相互性によってこそ固有の象徴性=存在を浮かび上がらせようとする。

久保の作品は宗教芸術や民族芸術の歴史を参照しながら造形がなされる。これらの芸術は、現在では用途から切り離され、自立した美の歴史を表象するものとして位置付けられてもいるが、例えば偶像は祈りの対象で あったり、そして食器や装具は食料を保存・調理すること、そしてそれを身につけることといった行為の中で生まれた想像力の賜物であったりするように、本来は当時の生活に密接したものとして存在した。民族芸術という概念を日本で提唱した木村重信は、民族芸術を個人的な考えや感情といった感覚を表現するのではなく、 自身の所属する社会の精神や信仰の中にある感覚を表現するものであると定義したが(*2)、久保も、強烈な個人主義によって孤立する現代社会の中で、それに抗して社会と自身とを接続するための回路をそこに見出そうとする。そして、その民族の社会性や精神性及びその表象については、文化人類学にいえば生と死や生産を表象するものとしての「女性」、そしてそれを統治する法としての「男性」という二分化によって分析がなされることもあるが、久保はこうした対置をベタに取り入れるのではなく、絶えずその相互性によって生まれる社会的な構造自体に目を向ける。
作品における本質と非本質、民族における生産と法、現代社会のインフラを支える強靭な鉄骨と精神の象徴としての女神(*3)。重要なのは二項が対立しているという事実ではなくその相互性である。そして上記の相互性を貫くのが、芸術の造形における機能と表象であろう。 柳宗悦は物質的および精神的な働きとしての用、すなわち生活における機能を持つものを工藝と呼び、用こそがその本質をなすと説いたが(*4)、それは民族芸術における生活の中に宿る社会的な精神が表象として立ち現れることと不可分である。であれば、用を本質であるというのではなく、機能と表象が相互的に凝集したものこそ生活と芸術をつなぐ「作品」なのではないか。久保はそれを工藝的な生活の側から芸術作品を捉える のではなく、芸術作品の側から生活を捉える美の用としての姿をそこに留めている。

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*1 エルゴンとは本質的なものや作品のことを指し、パレルゴンとは para-=傍に置かれたというように副次的なものを意味する。芸術に おいては、イマヌエル・カントが自身の著書である『判断力批判』において端を発した概念である。

*2 木村重信『民族美術の源流を求めて』NTT 出版 1994 を参照

*3 インフラの整備における労働力と出産をはじめとする生と死あるいは平和など、世界の想像や調和を表象すること。この二つのクリ エイティビティは男性と女性、機能と表象をめぐる社会的な「紋切り型」の対立問題を現代社会を踏まえて再検討可能な具体例の一つであろう。

*4 柳宗悦『工藝の道』講談社学術文庫 2005 を参照


アクセス

 

金沢市民芸術村 石川県金沢市大和町1-1 TEL076-265-8300

・バス バス停【武蔵ヶ辻・近江町市場】発 「香林坊」経由「新金沢郵便局」行 バス 停【大豆田」】下車 徒歩5分
・車 北陸自動車道「金沢西I.C」から片町方面に約10分 ・金沢駅・片町交差点から 徒歩15分、タクシー5分


Art-SITE vol.3 久保寛子個展「鉄骨のゴッデス」
会場:金沢市民芸術村アート工房 PIT5
日時:2024年3月9日(土)〜2024年3月20日(水祝)12:00-18:00(*土日祝は20:00まで)

主催:金沢市民芸術村アクションプラン実行委員会
共催:金沢市、(公財)金沢芸術創造財団
企画担当:金沢市民芸術村アート工房ディレクター 宮崎竜成
フライヤーデザイン:村田裕章